【前夜:3月17日】 準備不足…

6回目の日本教育セミナーを開催することになり、実行委員会広報担当としてはまずは参加者の確保が重要。あまり裏の話はしたくないが、セミナーを運営する側としては参加費で全てを賄うわけで、参加者がいないことにはセミナーが成立しない。
幸い、友人知人や教え子、従妹の何人かが参加したいと言ってくれたので、それなりの皮算用をしていたのだが、結局僕の関係の方は誰も参加できなかった。それぞれに事情があってのことで仕方がないのだけれど、直前まで言を左右にはっきりしない人がいて、困った。というよりも、一緒に旅はできないなと思った。誰とは言わないが、今後もまともなつきあいはできないなと思っている。

さて、直前までセミナーの準備に手こずり、自分の発表の準備が中途半端なままだった。でも、実行委員としての仕事も進めなければならないし、学校や予備校の仕事も休むわけにはいかず。
この日も朝から、高校の成績会議に出席してから予備校で授業。自宅に帰ったら確実に間に合わないので、例によって高円寺からの出発となった。

もうこの辺りはいつも通りの展開で、どきどきすることもないのだけれど、今回は店のマスターと先輩講師の方と他の店に飲みに行ったので、結構酔ったまま日本を離れることとなった。



それでも、NEXや飛行機の中ではセミナーでの発表用のパワーポイントをいじくっていた。まあ、何とかなるだろう。

【初日:3月18日】 ラブホか?(笑)

ハノイに到着しました。ところが、今回もまた迎えの車が来ていない。
どうなっているのかわからないけど、前回に続いて2回目。ま、勝手に行くから良いけど(笑)

常宿、ポロネズホテル、ADSLつなぎ放題です。
タイガービール飲んで、くつろいでます



でも、この部屋…何?このシャワー



ラブホテルみたいなんですけど(笑)
確かこの部屋は、改装する前はレストランだったフロア。強引に部屋にしちゃったのだろうけど、あまり良い印象ではないね。広いのは良いけど、金魚鉢みたいなシャワーはいやだな。

とりあえず夕方までくつろいで、メールで約束していたチャムがやってきた。努くん的ハノイの隠れ家、日本料理紀伊で、チャムとデート。セミナーの発表で、何カ所かベトナム人の見解を確認しておきたい箇所があって、その相談。

で、人妻チャムは先に帰ったんだけど、チャムと同年齢で紀伊で働いている、
日本留学経験もある旧知(チャムより前から知ってた(笑))のトゥちゃんと…………

久しぶりに、女の子のバイクで二人乗り。湖畔のカフェで、アイスクリーム食べました。
若くねえのにね、、、、、僕(笑)

明日は、日本ベトナム教育セミナー本番です。

【2日目:3月19日】 第6回日本ベトナム教育セミナー

まだ調子が出ない。と言うよりも、ベトナム気分になっていない。

今日も曇り空。晴れていたら歩いていこうと思っていたけれど、タクシーを呼んでハノイ大教会に向かう。



ここでセミナーの実行委員長で、茨城大学の伊藤さんと落ち合う。茨城大からは、もう一人の先生と、学生さんは実行委員にも入ってくれている5年生(笑)がひとりだけ。

今回は、実行委員会で会計を担当していた方が参加できなくなったので、暫定的に僕が会計と言うことになっている。お金の流れが見えてくるから=何がどのように動いているのか、この際だから確認しておきたいので、引き受けた。
ところが、案外参加者が少なかったので、会費だけでは費用が厳しいかもしれない。その意味でも、学生の参加を期待していたのであるが…。

さて、タクシーを拾って会場となるハノイ国家大学へと急ぐ。しかしだ、汗の量が尋常じゃない。
二日酔いになるほど飲んでないし、あまり気乗りしていない証拠?(笑)



ともあれ、教育学部の比較的大きな教室を使った会場には、既に人が集まっていた。
入り口には、ベトナム側の顔見知りの先生たちが並んでいて、再会の挨拶をする。国家代の教育学部長のロック先生が不在なのが残念。

千葉大学と国家大学が提携したらしく、千葉大からの訪越団が飛び入りで参加することになった。これは嬉しい誤算だ。



順調な滑り出しかな、と思ったのだけど、通訳が稚拙すぎる。これはまいった。
某ハノイ最大手日本語学校=僕もよく知っている学校に依頼したのだが、、、、、
いつも、「俺の教え子使った方が、まし」と、正直思う。
それで、某 栄光センター、、、あ、言っちゃった(笑)に文句付けて、通訳を変えてもらう。今の栄光の代表、元同僚なんで、強気強気(笑)こうなるなら、まして栄光に依頼するのなら、僕が交渉すれば良かった。

それはさておき、今回のテーマは国際理解教育。僕の発表は「多文化社会の中の国際理解教育」無事に、いや、汗が止まらなくて息も絶え絶えに発表を終える。

要するに、「僕が子供の頃は、外国人と触れる機会なんてなかった。でも、「戦後」が終わり、高度経済成長期に育った僕たちの世代は、寿司よりもマクドナルドを食べたかったし、スヌーピーやセサミストリートは大好きだった。擬似体験としての外国文化には触れていた。でも、今は町の中に、普通に外国人が歩いている。学校の教室も多国籍が珍しくない。だから、他文化を互いに尊重し合いながら、共生していけるように教育していく必要がある。異文化に触れさせる教育だけじゃなく、外国人に日本文化の理解を促す教育も必要じゃないか」って話。

ベトナム側には、今ひとつピンと来なかったんでしょうな。残念。
でも、日本側の参加者の方からは、「面白かった」「そういう見方もできますね」って、言ってもらった。

僕の後に発表した、ハノイの高校の国語(ベトナム語)のホア先生(女性)の発表をボーッと聞いていると、

ん?なになに?
唐詩と俳句だ?なんで?

要するに、今回のテーマの異文化理解教育って言っても、具体的な国際交流の中でって話には、まだなってないんですな。
それで、彼女は「海外の有名な文学作品を授業の中に取り上げることで、世界の様々な文化の存在を教えている。特にアジアでは日本、インド、中国、韓国。ヨーロッパではフランス、イギリス、ドイツ。アメリカ大陸では、アメリカ、キューバの文学を扱っている」

きゅ、キューバもなの?
それって、ベトナムと関係の深い国だけなんじゃないの(笑)

まあ良いんだけど、この議論、2002年の第1回セミナーに話が戻っちゃうのですが、、、、、、、、、

「あのさ、それ、全部ベトナム語に翻訳した状態で教科書に載せている。つまり、文化的な背後関係とか、理解した人が訳さないとうまくいかないし、訳=理解の押しつけになるんじゃないの?」

あとで、質問してみよう(笑)
もっとも、「文学的要素、特に人の心情が現れる作品を使っています」という話には同感。

昼食は近くのレストランで、ベトナム側持ちの会食。僕の周りには、国家大の副学長とか、教育訓練省のお役人とか、、、、、当然、乾杯がひたすら続く。もういいや、午後は聞いてるだけだから、しこたま飲んでやる(笑)

午後は、某実行委員長の提案で、「ニャム」というベトナム映画(音声:ベトナム語、日本語は字幕)を鑑賞して、日本人から見た疑問点、ベトナム人から見た理解を意見交換しようという企画。

面白いなって思ったのが、主人公の妹の口癖。「知ってるけど、私言わないよ」

これ、ベトナム人と話していると、よく出てくるフレーズなんです。
例えば、「ねえ、フーン。マイさんがね、○×って言ってきたんだけど、どういう意味だと思う?何考えてんのかな?」って聞くと、「たぶん、マイさんが言っていることはわかりますが、言いたくありません」とか、「先生は、わからない方が良いと思います」とか、、、、
言質を取られることを極端に嫌う人たちであることはわかっているのだけれど、その根本の理由は何なのだろう。
ふ〜む、こりゃ聞いてみる良いチャンスだ(笑)

で、討論に入って「これはベトナム人がよく使うフレーズだと思うけど、本音を隠しているのか、それとも、相手を気遣っているのか?どちらなんでしょう?」

例の国語の先生がニヤニヤしていたけど、誰からも明確な答えは返ってこなかった。
要するに、「言質を残さない」ってことなんでしょ?知ってるよ(笑)

長い間、何らかの形で管理、監視されてきた人々の国だから、自然とそんな自己防衛本能が身についたってことなんでしょうね。そして、映画の中で何度も繰り返される、、、、、
個人的にではあるけれど、僕はなんだかベトナム人と付き合うときの根本の部分を揶揄しているように聞こえて、失笑を禁じ得なかった。

まあ、今回の企画、突っ込んで議論ができるのならば、題材としてはよかったと思う。
でも、本音で言い合うことは、基本的に危険って考える人たちだから、ベトナムでは、この手法無理なんじゃないかな?と思っていたのだけれど、やはりかみ合わなかったのかな。
「円卓シネマ」って言うんです、この手法。まあ、絶対的な信頼関係が存在する仲間内でやるなら、それでも良いと思いますけど…。
結局、日本側の素朴な疑問には一般論が返ってくるけど、深い議論にはならなかった。(と、僕は思う)

ともあれ、例年よりもこじんまりとしたセミナーだったけど、形にはなった。

終了後、例の国語の先生としばし会談。

「唐詩や俳句はリズムがあるから成立するのであって、翻訳だと真意が伝わらないと思うけど…」
「実は、そうなんです。ベトナムでは、全て翻訳なので、背景となる文化を教えることが中心になってしまいます」
「じゃあ、国語の授業にはならないよね?」
「そうなんです(苦笑)これから、少しずつ改善していきたいです」
「もう一点、以前に古典の授業はやっていないと聞いたのだけど、今はどうなの?」
「いえ、以前からやっています」
「???? あ、もしかして、それも現代語に訳したもの?」
「はい、そうです」

あのさ、日本昔話じゃないんだから(笑)

「でも、少し漢字や古いベトナムの漢字を使って、原文を載せた教科書を作ろうとしています」

そ、それよそれ、それ待ってたの!(笑)
ははん、これは2002年の第1回セミナーの時に僕が質問して、その回答の中で教育訓練省のお役人の先生が言ってた「古典教育も再開したいと考えています」につながるわけね。

「私もそのプロジェクトに参加しています」

やった、やっと話ができるベトナムの国語の先生を見つけた!
ここで時間切れ。アドレスを交換して、メールで情報交換することを約束。それから、現在使っている俳句や唐詩の教科書を送ってくれるそうだ。頑張ってね、そして、裏切らないでね、ホア先生!(笑)

横で、千葉大の学生が興味深そうに聞いていたのが印象的だった。

その後、実行委員とベトナム側とで、今後の打ち合わせ。今回は学部長のロック先生(実は僕の元上司)が不在だったので、決定権がないんですよ(笑)まあ、見通しだけは立てたので、あとはメールでって話。次回は日本開催が可能か、ベトナムでやるならいつにするか。

外に出ると、セミナーに急遽参加してくれた千葉大学の先生と学生たちがタクシーを捕まえられなくて、待っていた。立ち話だったんだけど、ある学生が「先生の発表、とても興味深く聞かせていただきました。私は、国際理解教育ってことに以前から関心があって、それをやりたくて教職のゼミを選んだのですが、具体的にどういうことか、よくわからないんですよ。先生のお話を聞いて、何か、ぼんやりとだけど、イメージできてきたような気がしました。もう少し、お話を聞かせてください」

ええ、喜んで(笑)
明日の学校見学の時にでも、、、、と話して別れる。千葉大は国家大との提携校で、ユネスコの資金を使って学生の交通費は本人の負担無しで、毎年交流しているのだそうだ。何かやるには、金が必要だよね。どこかに財源を見つけなくちゃね、続ける以上はこのセミナー。それにしても、まだ学部の2年、3年生だけなのだそうだが、千葉大の学生の質の高さを感じた。今時の学生とは違うな、、、、でも、明日、茨城大の学生と一緒になるとどうなるんだろう?

そもそも、実行委員長が率いる旅行団なのに、なんで学生は教育セミナーに参加しないの?いや、別に興味がないなら良いのだけど、じゃあ、この旅行にどういう誘い方してんのかな?どうでも良いけど(笑)

あらためて、優歌ちゃん(昨秋のAO入試で、横浜市立大学の国際系の学部に進学が決まった子)を連れてきたかったなと、残念に思った。

タクシーに分乗して、大教会の前で解散。
会計関係の打ち合わせをして、僕はひとりで旧市街の入り口の金屋で両替。
夕暮れのホアンキエム湖を半周して、汗をかく。やっと、調子が出てきたかな。

とにかく、汗が気持ち悪いので、一旦ホテルに帰ってシャワーを浴びる。
のどが渇いたのでタイガービールで一休み。

20時近くなってから、今夜も紀伊へ。
昨日は会えなかった店主の小林さんが出迎えてくれた。最近、紀伊は大人気で、週末のカウンターは予約が必要だとか。
軽く食事して、本日もトゥちゃんのバイクで帰還。

なにやってんだ?俺(爆)

【3日目:3月20日】 学校見学 & あの頃…

本日は、日本ベトナム教育セミナーの2日目で学校見学会。
午前中は、初めて訪問する公立の小学校。カウンターパートのハノイ国家大学が、ようやくこちらの意図を理解しつつあるらしく、ようするに「普通の学校」=ベトナムの一般的な学校に案内してくれた。



小学校4年生の算数の授業だったのだけど、2003年の夏の第2回セミナーの時に行った、ノイバイ空港近くの田舎の学校の方が、普段のままの授業だったような気がする。それでも、ホーおじさん(ホーチミン元主席=建国の父)を讃える歌を歌い、日本から来た大学生たちが教える紙飛行機に大騒ぎしてくれた。



昼は、僕の提案でホタイ(西湖)の畔でトム(海老の唐揚げ)とオック(タニシ)。



午後からは、前にも訪問したことがある私立のフォンナム小・中・高校で、中学校2年生の日本語の授業を見学。
ベトナム人用のまともな日本語教材がようやくできたとのことで、パワーポイントを使った視覚教材もよくできている。でも、、、、、コナンが出てきたってことは、著作権の…



案の定、彼女が自分でネットで拾って作ったそうだ。でも、そこまで授業の工夫しているのは、とてもとてもよろしい、、、

と、思って、「どこで日本語勉強したの?」
日本側の実行委員長がプレゼンしてる間に、日本語教師と笑談。
「国家大学です」
「日本へは?」
「まだなんですけど、5月から短期で留学します。埼玉県の浦和です」
「ああ、じゃあ、国際交流基金の…」
「はい、そうです」
「そうなんだ。僕も浦和の高校にいたことあるよ」
「先生は、ベトナムで日本語を教えた経験がありますか?」
「うん、ザバットの学校…」
「ああ、ザバットのセンターですか?有名です。評判がよかったです。もう、なくなっちゃったけど」

そう、あの学校の教室の、最後に鍵を閉めたの、僕だもん(笑)
昨日の国語教師と言い、今日の日本語教師と言い、個人的にはとてもよい交流ができた。

大教会の前まで戻ってきて、フエに移動する茨城大グループ、国家大の招待で来ていた千葉大のグループは29日までハノイ滞在だそうだ。そして、個人行動の僕と、3手に別れて解散。

千葉大の先生、学生たち、特に昨日からしきりに話しかけてきた国際理解教育に興味がある彼女が、話したそうにしていたけど、今日は教え子と約束がある。名残惜しいけど、アドレスを交換して別れた。

しかしさあ、茨城大の学生って、幼い。
それと、躾ができてないね。これは、教員の問題だと思うけど。全員茶髪はどうでもいいけど、人が交流先で先方や、自分とこの先生が挨拶しているときにどういう態度を取ればいいのか、これは学生としてというよりも、人としての問題だな、と思う。
自分の教え子なら、ぶん殴ってる、、、、って書いたらいけないので、ただじゃおかない(笑)

ホテルに戻ってシャワーを浴びて、まずは通訳でお世話になった栄光ハノイさんに精算をお願いする。担当の方が訪ねてきてくれて業務完了。

笑える後日談だけど、この方日本の栄光本社から送り込まれた営業担当者なのだそうだけど、今日の業務を終えると退社されるそうだ。最後の仕事ぐらい、まともにやれよな!(笑)

ほどなく、ハノイの教室を閉めたときに、最後の最後に見送りに来てくれた、ベトナム人看護師養成支援事業7期生(日本に来たけど受験失敗)のホンちゃんがやってくる。さっそく、フロントでヘルメットを借りて、バクマイ病院近くの山羊鍋屋へ。折角近くまで来たので、懐かしのAHPハノイ日本語センターに行ってみる。もちろん、目的はチャオガー(鳥粥)の屋台。屋台のマダムも、校門の守衛さんも、セオムのおじさんたちも、みんな覚えていてくれた。マダムは、しきりに「ジンナーイ」とあの頃と同じように話しかけてくれる。よくわかんないのは相変わらずだけど、「ジオ(濁り酒)を飲みなさい」「ガー(鳥の蒸し焼き)を切ろうか?」「卵は入れなくていいの?」

守衛さんの所に行ってみる。
「ああ〜」
一番仲がよかった、あの人だ!

「ねえ、中に入ってもいい?」
「もちろん!」
日本語なのに、通じている。

ホンちゃんと、さりげなく手を繋いで、講師室の前、教室の前、5期生のミエンさんが激突(日本語能力試験直前の緊張感の中での出来事だったので、自殺ともいう(笑))したトイレをのぞき、一番弟子フーンとよくバドミントンをやったコートの辺りで感傷に浸り、住んでいた寮の真下に立って見上げると、、、、

僕ら日本人講師が住んでいた部屋の裏側のベレンダ=シャワー室前にだけ付けてくれていたスダレが、未だに健在。
もう、僕らの学校が撤退してから6年も経つのに…

守衛さんと写真を撮り、マダムと撮って、ジオ(濁り酒)を一本もらってホテルに戻る。

ほんの2時間ぐらいのデートだったけど、楽しかった。
懐かしかった。そして、少しだけ、あの頃を思い出して切なかった。

【4日目:3月21日】 デートと日本語センターの話

10時ぐらいに起きて、昼過ぎまで仕事。
フロントのハーちゃんは寝ていると思ったらしくて、掃除を入れないでくれていた。別によかったのに…(笑)

さて、今回の会費と、協賛金だけで計算すると、3万円強の赤字と出た。
まあ、前回からの繰越金があるので、支払いが滞るわけではないのだけど、どうしますかね…。

午後は、本屋巡りをするので、紀伊のトゥちゃんと待ち合わせ。
彼女のバイクでチャンティエンの本屋街の、、、、、裏の安売りの店を案内してもらう(笑)こんなお店があるのは、知らなかった。

「大チュノム字典」前から探していた、ベトナム漢字「チュノム」の一番大きな字典)2冊組があったんだけど、さすがに2冊で10キロ以上なので、飛行機乗せられない。直行便だったら超過料金払ってもいいんだけど、サイゴン経由だから、2回も払えない。しかたない、次回にしよう。

教育セミナーでの国語の先生の発表にあった「ベトナムの古典」と、「唐詩や俳句」を載せた国語の教科書もあったあった。

更に、「常用漢字表」、、、、これ、昔、東京のメコンセンターで一枚の大きな表になっていたのが2千円ぐらいしたんだけど、、、、
冊子になっていて、しかも1万2千ドン、、、100円じゃん。
トゥちゃんも欲しそうだったので、ついでに買ってあげる。

生徒たちのおみやげに「しおり」も購入。

よしよし、良い調子のお買い物。
少し休もうと、アイスクリームを一緒に食べる。
チャンティエン通りのアイスクリーム屋さんは、みんな美味しくて長蛇の列ができる日も少なくない。

今日は30度越えて、ハノイの夏はもうすぐそこまで。
あ、帰りはサイゴン経由か、、、、暑いだろうな。

と言うわけで、トゥちゃんがアイスをもう一つ食べる間に、ハノイビールを1本。
次はお茶と、珈琲を買いに行くつもりだったのだけど、元同僚のイエンさんから電話。

要するに、「今勤めている日本語センターの社長と、ぜひあって欲しい」という話。週末になるので、今日しか時間がないとのこと、、、

ち、デートのじゃまされちまった。
でも、トゥちゃんも紀伊に出勤の時間が迫っている。イエンさんに電話で場所を確認して、トゥちゃんがバイクで送ってくれる。

ところが、、、、、
ちょっといい話だった。
最初は、商売がらみに教育セミナーに関わりたいと言う話だと思っていたので、断るつもりだった。
でも、どうもその日本語センター「婦人会館」という半公的機関のビルにある。しかも、テナント、、、と言うか、教室に管理も任されているらしく、これなら例の塾に使える!

入れ違いで日本に帰った、同志・大山先生と早速相談してみよう。
この立地なら、日本人居住区が多いホタイ(西湖)の畔だから、これなら生徒も集めやすい。あとは教師の確保なんだけど…

よしよし。と言うか、うふふふ状態(笑)
うちの子たち(日本に行ってる教え子たち)が帰ってきたときの受け皿も作れるしね。去年の春の目論見が、そろそろ本格化する予感…

で、イエンさんを旦那のズンさんがバイクでむかえに来たので、僕も事務所を辞去する。ズンさんは、僕のベトナム人の数少ない男性のマブダチ(笑)

明日か明後日、自宅に遊びに行く約束をして、夕方の大渋滞の中タクシーでホテルに戻る。

今夜は、、、、、

あ、来た来た。
赴任当時の教え子が迎えに来たので、食事に行ってきます。
また、教え子のお父さんのやっているビアホイかな?

というわけで、
ハノイ赴任当時の教え子ダオちゃんと、同じく教え子のタインさんのお父さんがやっているビアホイへ行こうと思ったんだけど、、、、、

夜勤明けの、そのまま日勤…
どういう勤務形態なんだ…
意識朦朧、おねむ状態…(笑)

で、ひとりでフォーガ(鶏ウドン)を食べたんだけど、、、、
やっぱり、紀伊に行ってきた。

今夜も、トゥちゃんのバイクで、ホアンキエム湖まで夜のデート、、、、、
その後、ミーバンタン(マイミク・×2さんおすすめ)を食べて、帰還、、、

ったく、ま、これで、3代目ハノイの妹、トゥちゃんに決定…

追伸:今回の旅、女の子しか日記に出てきませんが、ちゃんと仕事してますので(笑)

【5日目:3月22日】 仕事の話と訃報とチャーカーと…

日本では春の選抜甲子園大会が始まっている。
明日が出発前日までの勤務校、聖望学園高校の初戦。
みなさま、応援よろしくお願いします。

で、「出発日前日までの」って書いたのには理由があって、
新年度、夜の予備校がビシッと埋まってる関係で、聖望だと午前中しか無理なんですよ。移動に時間がかかるので。
それで、教頭や校長にも慰留されたんだけど、泣く泣くお断りしたんです。
そうしたら、、、、早くも次の話が舞い込んでいまして、さきほど、面接の連絡メール。先方が急いでいるらしくて、24日の16時半。

ん?

24日って、帰国した日じゃん!(笑)

今度もキリスト教系で男女別学。寮もあってちょっと特殊な教育方針みたいなので、オモシロイと今のところは感じています。ベトナムで日本の仕事のオファーをもらったの、2度目だな(笑)

と言うわけで、これから栄光ベトナムの代表、と言うか、元同僚のN先生と食事。
今回、栄光さんに頼んだ通訳が、ちょっと難ありだったので、多少の文句も言わなあかん。でも、本題は、昨年の七夕に亡くなった、AHPネットワーク協同組合(ベトナム人看護師養成支援事業の推進団体)の前理事長、別府さんの思い出話。
仕事のこと、セミナーのこと、もちろん別府さんのこと
仕事の件では、、、、、、ここには書かない方がいいね。とりあえず、ハノイの栄光さんが必要な人材として誘ってくれていることはわかった。

午後は、民俗学博物館に大阪の国立民族学博物館から出向されている学芸員の方に面会の予定だったのだけれど、体調を崩されているらしくキャンセル。トゥちゃんとバーディン広場に出土した、安南都護府の王城遺跡を見に行こうかと思ったのだけど、雨が降ってきたので、トゥちゃんともバイクで出かけられない。

ホテルに帰ってふて寝してたら、チャムから電話、、、、とうとう、やってしまった。
ハノイ名物、チャーカー。雷魚の料理。2軒、はしごしてしまった(笑)

そもそも、今夜はハノイの妹2チャムとチャーカーに行く約束をしていた。

「先生〜、17時半にチャーカーね。お店は、チャーカー通りの14番ね」
「わかってるよ」
「先生、お店わかる?」

うん、たぶん、いや、絶対に、君よりも知っている(笑)
だって、もう60回以上行ってるから(笑)

17時にホテルを出ようと思っていたら、、、、、、とんでもない電話が入った。
今日は、予備校の方の職場、大学受験部門を扱う校舎の宴会の日。僕はベトナムにいるので、適度な時間に幹事に電話をするよと言っておいたのだが、その校舎から電話が入った。
「いたずら電話禁止」って言っておいたのに、と思いつつ携帯電話に出ると、、、、、、

社長の訃報だった。

24日、通夜。
25日、告別式。

24日はオファーのあった学校の面接なので、告別式に行くことにした。
社長は、僕のベトナムでの活動に理解を示してくれて、「もし、ハノイで塾をやるのなら、名前は貸してあげるよ。教材も使って良いよ」と言ってくれていた。

一応確認、と思って、所属校舎に電話した。
校舎長が、「事実だ。早く帰ってこい」と言葉少なに言っていた。

去年の夏の、AHPの別府さんといい、社長といい、
僕のベトナムでの活動を自由にやらせてくれた人たちが、次々に鬼籍に入ってしまった。

意気消沈したものの、しかたがない。
チャムの待つ、チャーカーに向かった。

【17時25分頃】
「先生、お店に着いたよ。先生、どこにいる?」
「えっとね、あと、10分ぐらい」
「わかりました。まってるね。」

その時、僕はまだホアンキエム湖畔、水上人形劇場の前あたりを歩いていた。
で、ちょうど10分で、チャカーラボンの前に到着。

「チャム、お店に着いたよ。2階ですか?」
「はい、私は2階の席に座っています」

古い、はしごみたいな急な階段を昇る。
はっきり言って、勝手知ったる我が店なんです。この店は(笑)

い・な・い。

ははん、、、、
2号店に行ったな?
いや、待てよ、、、、、、

斜向かいに、チャーカーラボンもどきの新しい店ができてたな…

もう一回電話。
「チャム、どこにいるの?」
「チャーカー通り、14番だよ」
「だから、その14番の店の前にいるよ」
「先生、2階にあがってください」
「えっと、今あがって見てきたけど、、、本当に、チャーカー通りのお店にいる?」
「はい、先生は間違っています」

だ・か・ら!
この店は、間違えようがないの!

「先生、今、お店の前にいます。先生はいません」
「ひょっとして、白い電気のついた看板の店にいる?」
「はい、そうです!」

この時間のチャーカー通りはバイクの洪水。
背伸びしてみると、、、、いたいた(笑)

チャム!そこは、チャーカー通り15番だから!(笑)

「チャム〜、チャーカーって言ったら、あっちの店でしょう?」
「そうですか?でも、ここはきれいなお店です。先生、食べてみて」

「美味しいの?」
「はい、美味しいです」

でだ、

お店は空いています。
テーブルの上には、電気のコンロが乗っています。

あのさ、はっきり言って、期待薄です(笑)

案の定、、、、「先生、ちょっと味が塩だけですね」

だから言ったじゃん。

「先生、これ食べたら、もう一軒、あちらの店に行っても良いですか?」
「良いけど、食べられる?」
「はい、大丈夫です」

ほ〜ら、みなさい。

本家、100年以上の伝統の老舗チャーカーラボンに勝てるチャーカーなどないのです!

写真、ご覧ください。



左が、本家チャーカーラボンのチャカー、右が、紛い物のチャーカーです。

「先生、やっぱりこちらの方が美味しいです。ごめんなさい。先生、私は、ベトナム人じゃな〜い。先生は、ベトナム人。よく知っています。」

だ・か・ら、
チャーカーのことは僕の言うことを聞くように!(笑)

と言うわけで、ハノイ最後の夜の前半戦終了。
少し腹ごなしができたので、最後にトゥちゃんに会いに、紀伊に出陣します。

今回のハノイ遠征、基本的に昼間は仕事、夜は紀伊。
夜は、基本的にトゥちゃんが面倒見てくれました。紀伊の店員さんなんだけど、大学のこと、留学のこと、就職のこと、一緒に考えてきたので、妹みたいなもんです。

明日、日本もお彼岸の最中ですが、ハノイ周辺の仏教徒はフーン寺というお寺にお参りします。まあ、初詣に近い感じですかね。
紀伊の小林さんたちも、まあ社員旅行に近い感じなんでしょうけど、朝の3時半に集合して出かけるそうです。
トゥちゃんが誘ってくれて、小林さんも是非って言ってくれたんだけど、、、、サイゴン行きの、明日の夕方の飛行機までに帰って来ることができません。残念。
でも、大切な行事なのに、誘ってくれたトゥちゃんの気持ちと、ちゃんと受け止めてくれた小林さんに感謝です。

今日も、トゥちゃんのバイクで、ホアンキエム湖一周(5分ほど夕涼み)経由で帰還。
あ〜、あしたの今ごろは〜
僕は、、、、、汽車の中でなく、サイゴン空港(笑)

【6日目:8月23日】 日本の学生、ベトナムの学生

朝からチャムが来て、ベトナム珈琲の買い出し。ホテルをチェックアウトして、元同僚のイエンの家に着ています。これから宴会。旦那のズンさん、呑む気満々(笑)
まずは腹ごしらえに、近くのブンチャの店へ。ハノイ名物ブンチャですが、この店が一番美味しいと言うことで、昼時は大混雑。ここでもビアハノイを飲んで、ビアホイを買って帰り宴会の続き(笑)



14時になったので、イエンさんがバイクでホテルまで送ってくれる。
今回はここでお別れ。すぐに頼んでおいたノイバイタクシーが来たので、空港へ向かう。

ずっと天気が悪かったのに、今日は晴れ。帰る日になって真夏並みの暑さになった。
紅河がきれいだった。この大きな橋を、セオム(バイクタクシー)で疾走したことを思い出す。やっぱり、明るいときにハノイを離れる方が、気分が良い。

夕方の飛行機でサイゴンに向かう。VNの国内線にも乗り慣れてきた感じ。成田まで、スルーチェックインできたので、荷物も少なく身軽になった。1時間半前に入ってしまったので、ロビーでタイガービール。

機内に入ると、トリプル(B777)は、ほぼ満席だった。2-5-2の国内線仕様の座席配列の左端。右隣には高校生かな?大学生かな?女の子。その右側にはおそらく妹さんとご両親。家族旅行なのかな?
僕のことを興味津々に観察しているので、ベトナム語で「旅行ですか?」と声をかけてみた。彼女はびっくりして、「日本人ですか?」ハノイ経済大の学生だそうで、大学で日本語の授業を受講しているとのこと。経済大って言うと……、横浜でベトナム語を習っているマイ先生やホアン先生の後輩か。へ〜、、、、
で、彼女の片言の日本語と、僕の片言のベトナム語でコミュニケーションを楽しむ。
僕との会話を、いちいちご家族に通訳しているのが微笑ましい。どうやら妹さんがサイゴンで仕事をするらしく、家族で見送りも兼ねた旅行なのだそうだ。やがて、彼女の鞄から、

こ、これは、天津甘栗?

間違いない。これは、甘栗。
一生懸命皮を剥いてくれる。僕は、CAがニコニコしながら運んでくれるタイガービールを飲みながら、彼女が剥いてくれる栗に手を伸ばす。そして、何度もタイガーを頼むこととなる…。

ベトナムにも天津甘栗があるのか。
そもそも、天津で甘栗は売っていなかった(笑)
なんで天津なんだろう?
ここはベトナム。ハノイからサイゴンに向かう国内線の機内。
なぜ天津甘栗なのだろう…

タイガー4本目ぐらいで、、、、、
膀胱が限界となった。
飛行機は、着陸態勢に入っていた。
いつの間にか、夜になっていた。

ランディング。減速して、タクシングに入った瞬間に、席を立ってトイレに向かった。CAが慌てて制止に来た。
だって、もう限界なんですけど(笑)
ターミナルに着く前に、なぜか飛行機は停まった。
CAが手招きしてくれた。トイレに行った(笑)

やっと落ち着いて席に戻ると、飛行機はゆっくり動き出した。まさか、僕のために停まったわけではあるまいけれど、助かった。

隣の彼女に「シンカムオン。タンビエッ。ヘンカップライ」ありがとう、さようなら、また会いましょうと話すと、嬉しそうに微笑んで握手してくれた。
考えてみれば、知人でも関係者でもないベトナム人と、ベトナム語でこんなに話したのは初めてかもしれない。ホアン先生や、マイ先生に会いたいなと、思った。飛行機を降りるとき、彼女のご家族の方たちも、微笑みながら会釈してくれた。

さあ、東京に帰ろう。

サイゴン・タンソンニャット空港は、新しいターミナルができてきれいになっていた。一旦外に出て、国際線のターミナルに向かう。
荷物はスルーなので、楽ちん。とにかく暑いので、早くチェックインしてビールを飲もうと、、、、、、あ、チェックインはいらないんだ(笑)早く通関しちゃおうと思って、チェックインカウンターを素通りしようとすると、ハノイで会った茨城大の学生たちがいた。

なんか、疲れ切った顔だな(笑)

売店でビールを買おうとすると、ジュースを飲んでいる女子学生が手を振ってくれた。
ちょっと、話すと、「いろいろお聞きしたいことがあるのですが、、、、」と遠慮がちに言う。何かあるなと思い、この際だから僕も疑問に思っていることを紀行と思い、飛行機が出る前にお茶しましょうと約束して、取りあえず別れ、通関した。
予想外に大きくなっていたターミナルビルに驚きながら、みやげ物屋を冷やかす。
セミナーの実行委員長の伊藤さんに会ったので、軽く打ち合わせ。

先ほど約束した学生二人組ともうまく会えたので、レストランに入りビールを飲む。

で、その話の内容は、、、、、、、、
ここでは書かない方がいいな。

ハノイの大教会前で別れた後のお互いの行動を話しつつ、
僕が、「なんでせっかくハノイまで来たのに、セミナーに参加しなかったの?」と聞くと、驚くような答えが返ってきた。
それ、書きたいけど、誰が読むかわからないので、胸にしまっておきます。

「先生と一緒に、ハノイに残った方が良い旅になったように思います。残念です」
この言葉が全てかな。ちょっと嬉しかったけど、複雑な気持ちだった。
自分の教え子を連れてきたのなら、こんな言葉は言わさない。

搭乗時刻を過ぎてから、二人の女子学生と一緒に搭乗口に向かった。彼女たちを待っていたらしい学生ご一行様が、僕と談笑しながら現れた二人に「なになに?何があったの?」と興奮気味に問いかけていた(笑)

ま、そういうことだ。

成田には、定刻より早く着いた。
他の便で前後して着いた伊藤さんや、僕と同じ便に乗った茨城大の学生たちとも挨拶して別れた。
早朝到着便での帰国は、もう5回目になるのかな?初めて7時50分発の八王子行きリムジンバスに間にあった(笑)

京王八王子駅前に着き降りようとしたら、そこは去年の1学期に勤めていた、某明治大学附属高校のスクールバスの乗り場だった。見知った生徒が、歓声をあげた。

現実に引き戻された瞬間だった。

帰宅して、しばらく仮眠して、自由学園の面接に行った。
翌日、社長の告別式に行った。出棺を見送った直後、採用決定の連絡が入った。
そのまた翌日、春期講習が始まった。


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