2002.4.29(月)〜5.5(日)


「日越教育セミナー」終了後のスナップ
右は大学の先輩:風来坊氏





1日目 旅立ち      2日目 爆走ニンビン    3日目 ハロン湾&山羊鍋     4日目  セミナー開始&一人で屋台 
  5日目  パネルディスカション     6日目 七期生と初対面&ティンちゃんとの再会    7日目 エピローグ

今回のセミナーで論文発表した拙論 『受験指導の中で垣間見た、日本とベトナムの進路指導』をUPしました

 出発の前夜、大学時代の仲間と草野球をやりました。ナイターでの試合中、スコアボードの左から、きれいな月が昇りました。思わず、阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」の句を思い出しました。この句は、遣唐使として唐の都長安からの帰朝の際、海南島の方まで流され、当時越南国として唐の管理下にあったハノイで、仲麻呂が詠んだ句であるとも言われています。
 今回の旅は、月を見ながら歩こうかなと、ふと思いました。

1日目 4月29日(月)旅立ち

 高尾始発のNEX。わざわざ高尾まで行って乗りました(笑)

 今年の3月から、中央線高尾始発のNEXの運転が始まりました。この列車に乗れば、東京の西のはずれ八王子から、成田空港まで乗り換えなしで行くことができます。途中新宿で、今回行動を共にする大学時代の先輩、風来坊氏が乗ってくることになっています。彼は公立高校の英語の先生でもあり、今回の教育セミナーでは高校の現場からの立場で発表することになっています。大学卒業後はなかなか会う機会もなかったのですが、私がハノイに赴任している時に突然遊びに来てくれて、それから以前のようにお付き合いさせていただいています。
 高尾から特急に乗り、サンドイッチを食べながら以前利用していた、18年間住んだ長房団地の近く、西八王子駅を通過するというこの不思議さ(笑)。立川辺りから満席になった成田エキスプレス3号は、無事に新宿に到着、風来坊氏と落ち合って早速ビールで乾杯しました。ちなみに、時間は午前6時半です(笑
 成田空港第一ビルは、実はガラガラ。連休中は混んでいるはずだったのでは?いや、本当に不思議な位、空いています。あれ、テレビで煽っているだけなんじゃないの?と思ってしまいました。久しぶりのキャセイのカウンターで、今回のセミナーに参加する、東京出発組のみなさんと落ち会いました。今回は、大学の研究者、現場の先生、私のような予備校講師、教育委員会の職員の方、主婦、そしてそれぞれのご家族など、多種多彩のメンバーです。ほとんどの方が初めてお会いする方。お互いに挨拶しあって、機上の人となりました。案の定機内はガラガラ。勝手に窓際の席に陣取って、のんびり香港に向かいました。香港での乗り継ぎもスムーズ、例によって青島ビールで乾杯してVN(ベトナム航空)に乗り継ぎ一路ハノイへ。通い慣れたコースではありますが、香港でVNに乗り込むといよいよベトナム、いつものことながらわくわくしてしまいます。

   VNの機材で運行する、CXとのコードシェア便。これに乗ると、いつもワクワク

 新装なった、否、やっと出来上がった(笑)ハノイ・ノイバイ空港は、まるで別世界。本当にベトナムに着いたのかと心配になってしまいます。あの、掘ったて小屋のような旧ターミナルがかえって懐かしく感じました。
 風来坊氏と二人でゆっくり進んだつもりだったのですが、到着ロビーに出ると一番乗り。早速今回のハノイ側の受け入れ先である栄光ハノイの職員の方の出迎えを受けました。案内してくれた女性はヒエンさん。栄光で日本語を教えているそうです。早速、ハノイの妹(決して怪しい関係ではありません。妹です(笑)詳しいことは「努くんのハノイ紀行2001夏」をご参照ください。)であるティンさんの消息を尋ねました。彼女も栄光で日本語を教えています。ヒエンさんの話では、今回は他の業務で通訳のメンバーには入っていないけれど、元気だそうです。「後で連絡を取ってみます」とのこと。彼女には既に手紙で知らせてありますが、これから作ろうとしている漢字の教材の作業に参加してもらうつもりです。バスで今回の宿舎であるHORISON Hotelに入ると、なんと入り口には教育セミナーの垂れ幕が掛かり、歓迎ムードです。入り口で今回の日本側主催者である伊藤先生が出迎えてくださいました。
 今日の日程は、まずはセミナーの打ち合わせ。そのままハノイ在住の日本語学習者との懇親会を兼ねた立食パーティーとなっています。パーティーには、ハノイの大学や日本語が学校で学ぶ学生が30人ほど参加してくれました。更に、我がJFB日本語センターの徳田先生、事務員であるイエンさん、そして日本で看護婦を目指して3月まで学んでいたハンさん(事情で帰国)も参加してくれました。4日には学校に行くことになっていますが、7期日本語担当の徳田先生とは初対面、イエンさんとは去年の8月以来、ハンさんとは、彼女が受験していた3年前以来の再会です。ハンさんとは帰国の事情について、ちょっとだけ二人で話しました。話しづらいだろうとは思ったのですが、日本にいる学生たちと接する時の参考にと思って。詳しいことは記しませんが、私たちの知り得ない、学生たちの悩みがあるのだと言うことを、改めて認識しました。

左が事務のイエンさん、右が教え子のハンさん。やはり知人に会うとホッとします。

 こんなに沢山の方が集ってくれました。

  部屋に戻り、いつも情報交換をしているインドシナMLの仲間で、ハノイ赴任中にお世話になった砂場@横浜さんに連絡を取りました。昨年5月まで日本の企業のハノイ駐在員として滞在されていましたが、帰国されて1年。今回は私の渡越に予定をあわせてくださって、今日から滞在されています。「鉄っちゃん」(鉄道ファン)だと言うのにベトナムの鉄道に乗ったことがない私に同情され(笑)、明日は鉄道小旅行を企画してくださいました。
    砂場さんとは明朝8時にホテルで待ち合わせることにして、風来坊氏と二人で、外に飲みに行くことにしました。ベトナムに来て早々日本料理も何なのですが、一昨年のクリスマス、風来坊氏と十数年ぶりで再会した思い出の店の一つです。まるで学生時代に戻ったような、そんな飲み方をしたことが思い出されます。そんな訳でタクシーに乗って向かった「日本料理紀伊」ですが、なんと、改装中とのこと…。仕方なく、同じく日本料理の店に行きました。風来坊氏は初めての店ですが、私は赴任中に偶に行っていた店です。3米ドルで飲み放題のタイガービールの生も魅力なのですが、今回は久しぶりにベトナム産の日本酒「越の一」を楽しみました。


                     

第2日目 4月30日(火) 爆走ニンビン

 今日は教育セミナーの日程としては市内観光なのですが、今更市内観光も何もないのと、当初は今日学校の方に行くつもりで、自由行動を申し入れてあります。しかし、ベトナムは連休中…。学校も休み…。と言うことで、砂場さんとの小旅行を企画しました。8時を過ぎて砂場さんもいらっしゃったので、タクシーでハノイ駅へ。ここで砂場さんのお知り合いのベトナム人と待ち合わせたのですが、なかなか現れず。結局「寝坊」と言う名の急用で、不参加ということになりました(笑)
 駅の窓口で「列車に乗りたい」「夕方までに往復したい」と言う正体不明の相談を持ちかけ、結局ハノイから西へ120キロほどのニンビンと言う都市までの切符を手に入れました。
【詳しいことは、「鉄の細道」をご覧ください】

百科大学前の交差点。列車の中から見るとこうなる(笑)

チェコ製のディーゼル機関車。これが主力の機関車です。

   車内では先頭の厨房車両(ベトナムの鉄道に食堂車はありません。車内販売用の弁当を作る厨房と、車内販売用の基地となる車両があります)まで移動して様子を見てみようと思いました。すると、、、、、、上手い具合にテーブルとイスがあるではないですか!
「何か頼め!(そしたら座っていていいよ)」という従業員たちの雰囲気だったので、とりあえずビール(サイゴンのビール333)を注文。そのうち従業員が美味しそうにCOM飯を食べ出したので、我々も注文。美味しくいただくうちに、無事にニンビンに到着しました。

 ベトナムの地方都市でのんびりするのは初めてです。駅前の通りをちょっと歩くと、もうのんびりとした田舎町です。昼下がりの街は、ちょうどお昼寝タイムでしょうか(笑)


時間が停まっているみたい。

 適当なところで裏路地入ると小さな幼稚園がありました。日本製なのでしょうか?公園にあるような遊具が並んでいます。思わず写真を撮ってしまいましたが、そう言えば今回は教育セミナー参加の旅でしたね(笑)お仕事お仕事…

小さな幼稚園がありました。

    路地を更に進むと市場に出ました。鍋釜の類からブタの頭まで、おばちゃんたちが「買っていけ」とうるさいのですが、どう見たってわれわれ旅行者なのに(笑)
 駅の近くのビアホイ屋で暫しの休憩。強い日差しの中で飲むビアホイは最高です。若いのか、おばちゃんなのかよくわからない女性が店番をしていましたが、「写真を撮れ」と(たぶん)言っているので記念撮影。そうこうしているうちに小学生ぐらいの子どもが現れ、砂場@横浜氏曰く「やっぱりおばちゃんでしたね(笑)」


  駅の近くのビアホイ屋で咽喉を潤す。

   さてさて、そろそろハノイに戻らなければなりません。18:00に待ち合わせがあるので、17:00過ぎの列車では間に合いません。そこで「まあ、タクシーでも掴まえましょう」となったのですが……。コレ、タクシー?……はっきり言って、ボロイ(笑)サイドミラーもバックミラーもありません。どう見てもロシア製。いや、作ったのは旧ソ連でしょう。う〜ん、もう少しビアホイ飲んでおくんだった(笑)
    「ハノイまで20ドルでどう?」「ダメ、40ドル」まあ、100キロ以上離れているし、仕方ないか……、と(値段も心の準備も)覚悟を決めて乗り込みました。風来坊氏と砂場さんが後ろの席、私が助手席。まだ若そうな運転手氏、ナンバープレートを指差して誇らしげに何か言っています。ハノイのナンバーらしい?だから大丈夫!って、何が?という感じ(笑)えっと、メーター類は、動いて、、、、いませんね。辛うじてスピードメーターは針がゆれている。走り出してすぐにガソリン補給。運ちゃん気合い入っています。この時、後部座席のお二人の表情、はっきり言って引きつっていました(笑)
    私、去年の夏にニンビンの近くのホアルーまでバスツアーできたことがありますので、見覚えのある道を辿っていきます。それはそれで安心なのですが、この運ちゃん、スピードが時速100キロを越えると手を放して喜ぶ癖がある。ここで死ぬのは勘弁してくれ〜、と思っていると突然急停車!エンストか?後部座席からも「な、何だ?」と不安そうな声が上がります。で、運ちゃん曰く「ハノイのどこまで行けばいいの?(たぶん)」あのね〜、まだ50キロ以上あるでしょ!ハノイまで!現実逃避と暑さで寝に入るとわざと急ブレーキかけて起こすし(笑)、後ろのお二人は、、、、寝ている!ズルイ!
   そんなこんなで、ようやく今朝通ってきた鉄道のザバット駅の前を通過、ここまでくれば我が日本語センターの近く、歩き慣れたザイフォン通りです。どうやら無事にハノイに到着したようです。
   無事にホテルの前までたどり着き、約束の40ドルを払って車を降りました。そう言えば、この兄ちゃん、迷わずにホテルの前まで来たけど……。砂場さんとは後程待ち合わせることにして、それぞれのホテルに一旦戻り、体制を立て直すことになりました。ちなみに私のTシャツ、汗、と言うよりも冷や汗でしょうか、白く塩を吹いていました。
   シャワーを浴びて、今度もラフな格好で旧市街に出かけました。ここには私のハノイ時代の憩いの場、友人のヒエン嬢が勤めているハノイ名物雷魚料理の専門店「チャーカーラボン」があります。ここでハノイ時代の同僚、日本語のG藤先生と待ち合わせています。彼女は今年の1月まで16ヵ月の間、看護婦養成事業の6期生に日本語と受験の英語を教えていました。任期を終えて、3月からハノイに戻り、ハノイ外国語大学で語学研修生として留学しています。お店の前で暫し待っていると、ホアンキエム湖の方から彼女がやって来ました。い、一段とベトナム人化している(笑)ほんの2ヶ月ぶりなのに、懐かしいです。風来坊氏とも一昨年のクリスマスにハノイで会ったことがあるので、早速三人で店内に入りました。

小さくてわかり辛いですが太公望人形がお店のシンボル

  ところが、と言うよりも予想通りなのですが、店内にヒエンちゃんの姿はありません。予想通りと言うのは、ここしばらく彼女の目撃情報が途絶えていたためです。昨年の8月に来た時も、帰国前日には会えなくて残念な思い出帰ったのですが……。おそらく他のお店に移ってしまったのではないかと思います。
    とはいえ、久しぶりのチャーカーは美味しい。ハノイ産のハリダビールを飲みながら舌鼓を打っていると、砂場さんが到着しました。しかも、今朝案内をお願いしていたのに寝坊した(笑)ベトナム人女性も来てくれました。彼女とは何度か会ったことがあります。あらためて再会を祝して乾杯し、チャーカーを楽しみました。彼女がお店の人に聞いてくれたのですが、やはりヒエンさんは他の店に移ったそうです。砂場さんもG藤先生も知らない仲ではありませんので、それなら今から行ってみようと言う話も出たのですが、そこまではね(笑)でも、しっかりお店がある通りの名前はメモしてきました(笑)
   腹も膨れたところで、チャーカー帰りのお約束で、ホアンキエム湖畔のトゥイータと言うお店でアイスクリーム。夜が更けるまで話しは尽きませんでした。

       

第3日目 5月1日(水) ハロン湾&山羊鍋

 今日は朝からハロン湾ツアーに出かけました。ハロン湾はユネスコの世界遺産に指定された風光明媚な場所。中国の桂林を思わせるような奇石群が点在しています。私は2回目のハロン湾になりますが、風来坊氏は初めてですし、せっかくの教育セミナーですから参加の皆様との交流もと思い参加しました。私がハロンに行くと、いや、ハノイから離れようとすると雨が降る(笑)案の定、途中のドライブインで休憩した辺りから雨になりました。それでも船に乗る頃には晴れ間も時折見られるようになり、船内でのシーフードの昼食を食べながら風景を楽しみました。食べ放題、飲み放題と言うことで、よく飲みましたね(笑)

船の甲板でくつろぐ人々

 
お疲れの風来坊氏(笑)

 今夜の食事はフリーになっていますので、風来坊氏と山羊鍋でも食べに行こうかと相談していたところ、近くにいらっしゃった方が「私たちも」ということになりました。日帰りのハロン湾ツアーはやはりきついです。ハノイに帰り着いた頃には、日がとっぷりと暮れていました。部屋に戻ると、明日からのセミナーの資料が配られていました。我々の提出した発表資料もベトナム語に翻訳されて掲載され低ます。自分の文章が外国語に翻訳される経験は初めてではありませんが、やはり興奮を覚えます。
 再びロビーに集合した我々四人、タクシーに乗ってバクマイ病院の近くにある、行きつけの山羊鍋屋に行きました。ここは私が赴任していた日本語センターから歩いて15分位のところ。ザイホン通りに沿った、鉄道の線路脇にあります。大きなビアホイ屋も併設しているお店で、夏場はビアホイが、冬場は山羊の方が賑わいます。
 ご一緒した方、お一人は茨城県のある都市で教育委員会のお仕事をされている方、もうお一人は農業系の本なども書いていらっしゃるという女性。このツアーのあとはラオスに行って、それから…とおっしゃるバイタリティーあふれる方です。
 ホテルからですとハノイ駅前を通って、レズアン通りーザイフォン通りと辿って行ってくれれば早いのですが、デーウーホテルの方から廻っていったようです。こちらから行くと山羊鍋屋の前を通り過ぎてしまいますので、ザイフォン通りに出てから戻ってもらったのですが、ちょうど工事中で旨くたどり着けません。一方通行の多いハノイの街を車で移動する時の難しさでもあります。この工事ですが、実はザイフォン通りに高架鉄道を作る計画が以前からあります。どうやら本当に工事を始めたようです。以前、と言っても遠い昔のことですが、ザバットのバスターミナルからザイフォン通りを通って、ハノイ駅前、更にロンビエン橋の近くまで市内電車が走っていたらしいのですが、これを高架鉄道で復活させる計画だそうです。さて、いつ頃、本当にできあがるのでしょうか?
 そんな訳で、バクマイ病院の斜向かいあたりで車を降りて、再びザバット方面に逆行、我が日本語センターに近い辺りまで戻ってから慣れない人には「恐怖の大通り横断」。再び逆戻りしてようやく山羊鍋屋に到着しました。
 もう8時を過ぎていますのでどうかな?と思っていたのですが、意外に混んでいます。ベトナムは連休の最終日ですから、家族連れも多いようです。早速、ビアホイを頼んだのですが、時間が遅いのでビアホイ屋の方は店じまいを始めています。そこでタイガービールとダー(氷)を頼んで、乾杯。まずは山羊の焼き肉を食べ、続いて鍋を楽しみました。みなさん気に入って頂けた様子。汗をかきながらでしたが、美味しく頂きました。

 
ビアガーデン風のヤギ鍋屋にて

    調子に乗って、せっかくここまで来たのだからと我が日本語センター前の屋台までみなさんをお連れしたのですが、お休み。考えてみれば、日曜日や休日は屋台は休みなのです。忘れていました。皆様「腹ごなしにちょうど良い散歩」と言ってくださいましたが、スミマセンでした。
 ホテルまで戻り、風来坊氏と少しだけタイガーの生ビールを飲んで、部屋に戻りました。



第4日目  5月2日(木) セミナースタート&一人で屋台

 いよいよ教育セミナーが始まりました。今日は主催の伊藤先生、ヒエップ先生、日本側、ベトナム側の基調講演が続きます。私も風来坊氏も今日は出番なしですので、皆様の講演に耳を傾け、明日のディスカッションに備えました。詳細は省きますが、が、が、が、が、、、「それは一昔前の日本の塾の姿でしょ?」(私)、「日本の学校って、そんなに酷いところか?」(風来坊氏)

 挨拶に立つ日本側代表の伊藤先生

 セミナー初日終了後、ベトナム側の主催による懇親会が開かれました。立食パーティーなのですが、挨拶があるわけでもなく、ベトナム側のみなさんはいつの間にか集まってきて、いつの間にか、残っている方々は日本側メンバーだけでした(笑)コレはもう、お国柄ということなんですよね。

 
ベトナム側主催の立食パーティ

 明日の発表に備えて、少し考え事をすると言う風来坊氏と別れ、私は一人で学校の前の屋台に向かいました。実は私も一人でボーっと考えてみたいことがあったのです。
 タクシーをわざとザイフォン通りの、学校へ向かって入る踏切のところで降りて、のんびり歩いて我が日本語センター前の屋台に向かいました。TシャツにGパン、サンダル履き、赴任していたあの頃と同じ格好、同じ気分で歩いていきます。5千ドン(50円)で髪を切った床屋、学生とアイスを食べた雑貨屋、冷たいビアホイが大好きだったビアホイ屋、蒸かした肉まんをよく買ったパン屋、あ、店番の娘さん覚えてくれていたみたい、笑いながら手を振ってくれました。お、昼食後の一時を過ごしたカフェはまだ電気がついている、、、、、そして、ゆっくりカーブを曲がると、校門の前の屋台の明かりが見えます。
 ゆっくり、近づいていくと、洗い物をしていた屋台のマダムの手が止まり、慌てたように手を拭いて、出てきてくれます。すぐに気づいてくれたようです。「ジンナイ!」懐かしい声、ちっとも変わっていない。「シンチャオ!」やっとベトナム語で挨拶できたのに、そのあとが続かない。意識して覚えてきたのに、もう気持ちが先に行ってしまっている。「いつ来たの?どこに泊まっているの?いつまでいるの?」たぶんそう言っている(笑)濡れたままの手で、がっちり握手。そしていつものように「ジンナイ!チャオガー!」と言って、鶏肉たっぷり、卵二つ、香草少な目の「チャオガー(鳥粥)ジンナイ・スペシャル」を出してくれます。そして「ジオ(濁酒)」。学生時代に下宿していた近くのお店に今でも時々行きますが、一緒ですね。
 「○×△□…」とマダムが話しかけてくれますが、「もう、ベトナム語忘れちゃったよ〜」と日本語で言いながら困った顔をすると「アハハハ」と。何となく通じている。あのころと同じ。
 この屋台、楽しいときもそうでないときも、ほとんど毎日座っていました。時には同僚と意見を交えたり、馬鹿言いながら悪飲みしたり。学校に留学しているラオス人たちと即席の日本語講座になったり。学生たちとチャオガーを食べながら話をしたことも数しれません。一人で考え事をしながら飲んでいると、マダムが「モット?(疲れてるの?)」と言いながらお茶を煎れてくれたり。ジオは結構強いお酒なのですが、考え事をしているとつい飲み過ぎてしまいます。そんなとき、マダムの「ジンナイ!ヌックチャー!(熱いお茶煎れたから、飲みなさい)」の一言でどれだけホッと一息つくことができたことか。
 今回のセミナー、正直なところ、ちょっと期待はずれの部分もあるのです。主催の方々の苦労も、今回ハノイで受け入れてくださっているEIKO HANOIの立場もわかってはいるのですが、今日の基調講演を聴いていてもどうも納得いかない発言が多い。もちろん私としては、なのですが。
 「ジンナイ!」あ、また難しい顔して飲んでいたらしい(笑)マダムが団扇を差し出してくれました。あ、コレ、見覚えある。いつも大汗かきながら飲んだり食べたりしている私に「ジンナイ専用(たぶん)」と言いながら貸してくれた団扇です。「ちゃんと置いてあるのよ」マダムがたぶんそう言っている。笑いながらわざわざ扇いでくれます。
 やがて、セオムのおじさんの一人、ゾイさんがやってきました。そろそろ夜間開講の日本語クラスが終わる時間。N口先生が食事に出かける頃なのでゾイさんが登場したと言うわけです(この時間ですと学校の周りでは食事できないので、彼はいつも決まった時間に市内に出かけていくのです。)
「お〜ジンナイ!」「シンチャオ!」と言うわけで、とりあえず乾杯。人なつっこい笑顔が懐かしいです。やがてN口先生が学校から出てきたのでお互いに手を振りあって挨拶。
 そろそろ帰ろうかなと思っていたところで、マダムがチャオガーのお焦げを出してくれました。夕方の開店時間からもう何時間も煮込んでいますので、底の方はお煎餅のようになっています。これが旨いんです。赴任当時、毎晩わざわざ閉店間際に行っていたのはこれが食べたかったから(笑)ちょうど食べ終わった頃にまだ若いセオムの運転手がやってきたので、ホテルまで行ってもらうことにして、マダムからジオを1本買いました。すると(半分は期待していたのですが)「持って行きなさい」(笑)というわけで、風来坊氏と氷を浮かべて寝酒を楽しみました。




第5日目  5月3日(金) パネルディスカッション

 セミナーも2日目。今日は日越双方のパネラーが出て、ディスカッション形式で進められます。席を眺めてみると昨日よりも参加者が増えているようです。わが日本語センターからも、昨夜ちょっと挨拶を交わしたN口先生、3月から赴任されているS谷先生。彼女とは初対面です。事務のイエンさん、初日にも来てくれた教え子のハンさん、そして現在大学生で、夜のN口先生のクラスで日本語を学んでいるというハンさんの妹さんが参加しています。イエンさんはわざわざ資料を買ったらしく、私の論文を読んで「先生スゴイです。カッコイイです」とわけわからん感想を申し述べております(笑)
 昨日の基調講演では、今、日本の教育現場で問題になっている不登校、いじめ、学力低下等の、どちらかというと「負の実状」が日本側から紹介され、そういったものが存在しないベトナム側からさまざまな質問も飛び交いました。今日は、風来坊氏をはじめとした日本の教育の現場に実際に立っている先生方から、「むしろ日本の教育現場のよい面を紹介しよう」という共通理解のもとに報告がなされました。

   
パネラーとして発表に立つ風来坊氏

 「教育セミナー」というと、昨日話題になった「いじめ」の問題など心理学的側面が中心となります。私のように心理学や教育学が専門な訳でもなく、「教育」という接点で参加している者にとっては興味深くもあり、逆に自分の居場所に困るという側面もあります。ですから、今日のように現場の、それも発言者の思いこみや虚勢ではなく、実際の声を聴くことは勉強になります。
 私も、今までのベトナム人学生の指導の経験からの疑問点をいくつか質問させていただき、興味深い回答を得ることができました。そのいくつかを紹介すると、

○ベトナムの学生は試験の際のカンニングが多い。学校ではどのように指導されているのか?
→   黙認しているわけではないが、実は親が絡んでいるケースも多い。

 午後になって、ベトナム側のパネラーのお一人で、ハタイ省の中学校の国語の先生であられるスワン先生と言う女性の先生から、思いがけない発言がありました。私が今回の論文集の中で「日本の国語教育とベトナムの国語教育には大きな差異があるようだ。例えば詩の読解をベトナム人学生にさせると、初めて読んだ詩の意味はわからないと言う。つまり、詩を読んで聴かせ、内容を説明し、理解させると言うやり方がベトナムの指導であり、日本の国語か教育の場合、詩を自分の力で読み、作者の心情を読みとるという点に主眼が置かれている」と言う件である。「陣内先生の論文を読ませていただきました。現在、教育のドイモイ(刷新運動)が進んでおり、ご指摘の詩の読解指導も、今後変わっていくと思います。しかし、覚えさせる指導も必要であると思います。また、古典教育も、再び取り入れて行く方針です。その際、現代文に翻訳した形ではなく、漢文やチュノムを用いて教えていくことになっています。ベトナムの国語指導に関して外国の先生からご指摘を受けたのは初めてで、大変嬉しく思います」と言う主旨の発言を頂きました。教科教育の側面から述べていたのは私だけだったので、この場で取り上げられる機会もないであろうと思っていたのですが、思いがけず接点ができました。
 終了の時間も近づいたときに、発言の機会を得て、先ほどの先生の発表に対して私からも意見を述べました。その最後に、「日本とベトナムは同じ漢字文化圏です。これから、日本の国語教育者と、ベトナムの先生方との接点も必ず出てくると思います。これからもよろしくお願いします」と申し述べたところ、笑顔で手をあわせて(お〜、仏教圏ですね)、挨拶してくださいました。私も嬉しい想いでいっぱいです。やっと「教育セミナー」に参加したのだと言う実感が湧いてきました。終了後、日本側の参加者の何人かの方々から「先生の気持ちに、ちゃんと届いていましたね。よかったですね」「あの先生、本当に嬉しそうだったわよ」と声をかけていただきました。本当、参加してよかったと、この時、実感しました。
 セミナーの全ての日程が終了し、ベトナム側から挨拶がありました。その最後に「今回の論文集を、出版する方向で準備を進めたいと考えています」とのこと。これは思いがけないお話です。実現すれば良いですね。最後に全員で記念撮影、先ほどの先生とも握手して挨拶を交わし、アドレスを交換しました。小さな「越日国語教育交流」がスタートしました。この出会いを大切にしていきたいと思います。

  前列右から4人目、私の前がヒエン先生

 ベトナム側を交えての全体日程はこれで全部終了、明日は学校見学会が日本側の日程として組まれています。そんなわけで今夜はリラックスムード。「屋台に行きましょう」と何人かの方々と約束していたのですが、結局「伊藤組」と「陣内組」に分かれて、10数名の団体で屋台に行くことになりました。伊藤先生組もビアホイかどこかへ行かれたようです。
 途中、私たちが乗った車がザバットの日系企業の工業団地の方へ行ってしまうハプニングもありましたが、大挙して屋台でチャオガーを食べ、ジオを楽しみました。ベトナムの庶民がひしめき合う裏路地、屋台に皆様をお連れしましたが、如何だったでしょうか?
  その後、とりあえず「現地解散」。それぞれ自由行動と言うことになって(考えてみれば暴挙だったかな?笑)私と風来坊氏、その他5人ほどの皆様と「冷たいビールを飲みましょう」と言うことで、近くにいたセオムをかき集めて、日本料理「紀伊」に行くことにしました。初日に風来坊氏と来たのですが、改装中ということであきらめていたのですが、実は少し離れたところで新店舗を開いていたのです。店は4階建ての建物で、大きく、広くなっています。さすが、ハノイの日本料理店で一番繁盛している店です。店のスタッフの中にも何人か見覚えがある子がいます。4階の大きなテーブルに着くと、店長の小林さんが来てくださいました。いつ来ても、よくしていただいています。タイだったかな?大きな魚を焼いてもらって、よく冷えたタイガービールで乾杯、セミナーの感想を語り合いながら、楽しい一時でした。夜も更けてからホテルに戻りましたが、帰国後に何名かの皆さんから、「あの時はベトナムを、ハノイを感じることができて、楽しかった」と手紙を頂きました。




第6日目  5月4日(土) 七期生と初対面&ティンちゃんとの再会
 ハノイ滞在最終日。明日はもう帰国です。今日はセミナーの日本側の皆さんは、ハノイ市内、郊外の学校を訪問する日程になっていますが、私は個人行動をとることになっています。我が日本語センターで、看護婦事業の七期生たちに日本の看護学校のこと、入試のことなどをレクチャーする約束です。また、今後の事前指導、入試のことなどハノイの先生方と打ち合わせをすることになっています。
 学校訪問ツアーに出かける皆さんを見送ったところで、EICHO HANOIの河口さんから嬉しい連絡を受けました。EICHOで日本語教師として勤めているティンさんから「今夜時間がとれるので会いたい」と言う伝言を頂いたのです。彼女は私が赴任していた当時、日本料理紀伊に勤めていて、よく愚痴を聞いてもらったり、日本語を教えたりといったお付き合いをしていました。去年の夏に来たときもニンビンの近くのタムコックに遊びに行ったり、帰国後も手紙のやりとりが続いています。今回ハノイに来ることは手紙で伝えてありましたが、授業や通訳の仕事が入っているらしくて今日まで連絡が付かないのでした。「19:00にチャーカーラボンで待っている」と河口さんに伝言をお願いしました。
 学校に着くと、事務のイエンさんが出迎えてくれました。久しぶりの講師室、自然と「ただいま」と言う言葉が出てしまいます。残してきた教具など、懐かしい品々とも再会です。先生方とも、ゆっくりお話しするのは初めて。G藤先生も来てくれました。
 廊下では、初めて会う七期生たちが「先生こんにちは」とあいさつしてくれました。年々歳々…とはよく言ったもので、毎年最初に会うときの学生たちの反応はやはり気になるものです。まして異国の、日本語もまだ十分には通じない学生たちですから。しかし、今年の七期生たちは、恐らく先生方から私が現れることは聴いていたのでしょうが、人見知りするでもなく、きちんと挨拶してくれました。

7期生の学生たち

 午前中4時間の日本語の授業のうち、後半の2時間をいただいて話をすることになっています。3期、4期ぐらいまでは受験に合格するための教科指導をするのが精一杯だったのですが、看護学校受験は学力だけを求められているわけではありません。ここ数年、看護者の需要供給バランスがとれてきたこともあって、また国家試験の難易度が難しくなってきていることもあり、志望理由や面接が重視されています。以前はこのプログラムに参加していることで十分志望理由になると判断していたのですが、ここ1、2年、なぜ日本で学ぶのか、ベトナムの医療の現状はどうかと言った質問が面接試験でなされるようになってきています。そこで、早い時期から日本の医療や看護について、ベトナムとの比較や今後のベトナムに必要なことなどを考える機会を作っていこうという判断です。昨年秋にNHKの衛星放送で放映された「アジアフーズフー」と言う番組のビデオも持ってきています。これは、ベトナムの無医村地区で保健師と看護師と助産師を兼ねたような仕事をしている女性ベトナム人医師の活躍を記録したドキュメンタリーです。
 最初の時間は、この春に看護職の呼称が「看護婦」から「看護師」に変わったこと、6期生たちの受験の様子等を話し、2時間目にLL教室に移動して、ビデオを見ました。どの学生も興味津々、でもちょっと不安そうな表情が並んでいます。まあ、いきなり日本の病院の様子を見せて、日本の様子を伝えるよりは、将来、自分たちがベトナムに帰ってきたときに何を求められているか、近未来を連想させる方を選択したのでした。

 授業を終えると、教室の外には懐かしい顔が揃っていました。5期生の残党、残念ながら日本に留学することができなかった学生たちです。今日は6人の学生が来てくれました。去年の8月に会った顔も、1年半ぶりの顔も、みんな元気そうです。彼女達へおみやげと、写真などを渡して、しばらく待っていてもらうことにして、先生方と食事に出かけました。

   
よく冷えたビアホイが美味しい

 すぐ近くの懐かしいcom飯屋は、今日も混んでいました。よく冷えたビアホイを飲み、食事をつつきます。この店は私が赴任中に改装されたお店で、これと言って珍しいものはないのですが、この近くではきれいな店の一つです。
 食事の後は、オヤクソクで近くのカフェへ。久しぶりのベトナム珈琲を飲みながら、今春の受験のことや日本にいる学生たちの様子、来春の受験に向けての打ち合わせをしました。日本語、特に語彙の指導については詳細まで意見交換をすることができました。

  
カフェのおばちゃんが懐かしい!昼食後の憩いの場でした

 学校に戻ると、学生たちが待っていました。彼女達は、みなハノイ医科大学に合格して、看護学を学ぶクラスメートです。日本語の2級を取得しており、通訳関係の仕事に就くこともあるいは可能なのでしょうが、みんな看護の道に進んでいます。これは、5期生以外の日本へ行けなかった学生と多少違うところです。

 
セミナーの論文集を見せると、声を出して私の論文を読んでいました

 本当は、近くのビアホイ屋でも行こうと思っていたのですが、夕方には大学で補習授業があるとのこと。「もう日本語忘れてしまいました」と言う学生たちと小一時間談笑して、再会を約して別れました。そろそろ、日本語の方は怪しくなってきています。「今度は先生がベトナム語を勉強してきてください」と言われましたが、確かに、私の方が勉強していかないとコミュニケーションとれなくなってしまいますね。彼女達を教えていた頃、「ベトナム語禁止!」と怒りながらの日本語での泣き笑いの日々が、随分遠くに行ってしまったなあと、寂しくなりました。

  
みんな、ちょっとづつ、大人の女性に近づいていました!?(笑)

 講師室に帰って一休み。日本語の先生方と暫し談笑して、休憩。事務のイエンさんから預かったJFBの事務局への荷物やら、学生の家族から頼まれた荷物を抱え、タクシーを呼んでG藤先生とホテルに戻りました。
 学校見学会に出かけたご一行様はまだ戻ってきていなかったので、荷物を部屋に入れてからロビーのバーで暫し談笑。6月末には彼女も日本に戻ることになっていますので、次回は日本で会うことになりそうです。
 夕方になって、風来坊氏と一緒に、旧市街のチャーカーラボンに向かいました。やはり、ハノイ最後の夕食はチャーカーと決まっています(笑)今朝、河口さんを通じて約束したティンさんも、中国語を習っているという男性を伴って来てくれました。日本語、英語、中国語、ベトナム語チャンポンの会話は楽しく、その後ホアンキエム湖畔のトゥイータに場所を移して、夜が更けるまで話が弾みました。彼女とは、漢字教材を作る件で協力してもらうことになりました。

  
ハノイの妹、ティンさんと 

 ホテルに帰ると、ロビーの片隅で伊藤先生ご一家、その他今回の参加の方々が何人か、集まっていらっしゃいました。我々も参加して、しばらくタイガービールの生で、ハノイの最後の夜の余韻を楽しみました。



第7日目  5月5日(日) エピローグ

 フィールドワークでハノイにしばらく滞在される伊藤先生たちを残し、我々は帰国の途に着きました。私、どうもハノイから帰国する日が嫌いです。特にノイバイ空港で香港行きの飛行機を待つ時間が嫌い。あの人に会っておけばよかったとか、あの本を探すのを忘れたとか…。今回もまた、遣り残したことがたくさんあるように感じました。
 しかし、今回の旅では、今までの3度のハノイ滞在とは違った意味での、大きな経験がありました。何よりの収穫は、ベトナムの国語教師であられるスワン先生と知り合えたことです。セミナーの際にも思いがけず私の論文に対しての感想、ご意見を拝聴することができました。小さな国際交流ですが、近い将来、必ずや日本とベトナムの国語教育の交流として、大きくしていきたいと思います。

 VNお得意の、いや、予定通りのリレードで(笑)香港到着は東京行きの離陸直前。関西空港へ帰られる皆さんとの挨拶もそこそこに、成田行きのCXに乗り込みました。成田では大宮行きのバスで帰る風来坊氏と、到着ロビーで乾杯。例によって缶ビールを片手に、新宿行きのリムジンバスに乗り込みました。

 次回のハノイ行きは何時になるのでしょうか。次回の教育セミナーには、教育の現場での実践をもっと積んで、ぜひ参加したいと思います。(完結)


今回のセミナーで論文発表した拙論 『受験指導の中で垣間見た、日本とベトナムの進路指導』をUPしました